白玉庵のいちにち

表千家茶道教室

つくばエクスプレス最終便に乗る。その2

 思えばつくばに出かけたその日は朝早く家を出たのでした。ということは、朝早く起きたということです。だから、夜の11時頃眠くなったのだと思います。
 そして、お店を出たのが11時10分頃で、それから真っ暗な夜道を駅を目指して車は走り出しました。しかし、迷います。私は食い入るように標識を見ます。次々に読み上げる私を見て、となりに乗っているNさんが「山本さんは目がいいのね」と感心してくれますが、私は2.0だったときもあったんです、と答えはするもののちょっと真剣です。Nさんは標識はぼんやりとしか読めないと言います。車を運転することも何もできない私は標識くらい読まなければといよいよ思います。
 走っているうちに「新守谷駅」と「守谷駅」の標識や道端の看板などが見えました。たしかエクスプレスの停車駅は「守谷」であったはずとSさんに伝えます。「新守谷駅」にも立ち寄ってくれたのですが電気は灯っていますが、ひっそりとして人の影も見えません。最終電車がもうすぐ来るのでしょうか。タクシーが一台、止まっているばかりでした。民家の灯りも何もないところです(ここで降りたら、野宿しかないと思ったとNさんはあとで笑いながら言っていました)。
 そのあと「守谷駅」を目指します。どんどん時間は経っていきます。
 駅を発見する前に見つけたのが「東横インつくばエクスプレス」の灯りでした。「もしかしたら帰れないかもしれない。そしたらあのホテルで泊まるしかない」ふと、そんなことを考えました。
 しかし、そこで「守谷駅」へのエレベータを発見。
 ご挨拶もそこそこに車を降りたあとは、走って走って改札までとにかく走りました。一緒のNさんは着物姿です。すると、駅員さんが「秋葉原への最終電車に乗られますか!」と駆け込んできた私たちに向かって言いました。「はい!」息も絶え絶えでこたえました。すると、エスカレーターの上の別の駅員さんに「二人乗られます!」と叫んでくれました。エスカレーターを走って上がったら、すぐに出発。私たちは、「東横インつくばエクスプレス」に泊まらなくてすみました。駅員さん、ありがとうございました!(翌朝の消火設備点検のことがなければ、ホテルが好きな私としては、ホテルに泊まりたかったくらいでしたが)
 ひとつの難問はとりあえずクリア。
 次の難問が待っています。
 この時間に武蔵野線に乗り換えができるのでしょうか。もし、できたとしても北朝霞まで走るのでしょうか。北朝霞まで走っても、次に東武東上線に乗り換えるとき、池袋行きは走っているでしょうか。携帯で調べようとしましたが、電池が切れかかっているので、無駄?に電池を使うことは避けたいと思いました。
 武蔵野線のことは諦めることにしました。次に、秋葉原まで行くのがいいのか、浅草、北千住、南千住どこで降りるのがいいのかで迷いました。なにしろ私は地図が読めないのですから(標識とか文字は読めても地図はまるきり把握できないのです)。でも、終点の秋葉原に決めました。舞浜まで帰らなければいけないNさんもその間、いろいろと試行錯誤されている様子でした。Nさんもまた、秋葉原に決められたようでした。とにかく、12時半頃に到着すれば、もしかしたら日比谷線が走っているかもしれないし、山手線(私が乗るべき電車です)も走っているかもしれないと思い当たりました。
 秋葉原で降りて、また走る走る。「乗る電車が違うし、あなたは先に行って!」途中のエスカレータで下から着物姿のNさんが言いました。私たちは、挨拶もそこそこにお別れすることにしました。(着物姿のNさんは三輪山に二十数年、ほぼ毎月のぼっている健脚の持ち主です。着物姿でも走ることができる。私とは身体の鍛え方が違う方だとあらためて思います。)
 さて、そこから私は山手線に乗り込みました。
 しかし、ここからがまた大きな問題にぶつかったのでした。一日をまさに厳粛に終えようとしていた「守谷」の空間から都心に戻ると、世の中は忘年会シーズンです。しかも金曜日です。乗ったのはいいですが、ぎゅーぎゅー詰め。私は押されて肋骨のところが「グキッ」といいました。身動きがとれない状態なのです。酔っ払いの若い女性ふたりがろれつのまわらない口調で話しています。靴がどっかへいっちゃったらしいです。ドアが開くと次々と乗り込んできます。
 上野駅に到着しようとしたとき、ホームに立っているたくさんの人を見ました。みんな真剣な表情をしているように見えました。「この電車に乗らなければ帰れない」という表情です。決死隊みたいな雰囲気で立っているように見えました。そのとき、私はまた決断しました。
 降りる人と一緒にはじき出されるようにして、電車から降りることに決めたのでした。
 「守谷」泊まりだったかもしれないことを考えれば、都心まで戻ってこられたことをよしとしなければならない。秋葉原からタクシーで帰ることを覚悟したぐらいだから、上野からタクシーで帰ってもどうってことはない。そういうふうに思いました(秋葉原で最初からタクシーで帰っても距離的には同じくらいなのでしょうか。地図が把握できないのでわからないです)。思考能力ゼロです。
 そして、わたしは、帰って来ることができたのでした。
 7〜8時間後の、朝9時には消火設備点検の人たちを迎えることができたのでした。