白玉庵のいちにち

表千家茶道教室

白雲抱幽石(はくうんゆうせきをいだく)

 梅雨が明けて、猛暑が始まりました。
 先日床の間に掛けられていたのが「白雲抱幽石」というお軸(寒山詩)。
 夏本番といった感じがします。
 山頂にむくむくと沸き上がる入道雲が見えてくるようなお軸でした。
 大きな石を包み込むかのような白い雲。自然の持つ無私の優しさが伝わってきます。

 5月は仕事が忙しくて、まる一ヵ月お休みしていたお茶のお稽古。
 先日は、平水指(ひらみずさし)で夏を感じました。
 陶器は、安南(あんなん)焼。白地に涼しそうなブルーのトンボが描かれています。
 割蓋(わりぶた)の扱いにも注意しながら(左の蓋をあけるさいには、蓋と陶器とを意識しながら開けないと蓋がお水のなかに落ち込んでしまいます)のお点前です。


 ところで、一ヵ月に一度のお茶の研究会を開くことが正式に決まりました。これまでも不定期に行われていたのですが、あまりにもみんなのやる気を感じられないので(と先生)、先生自らが仕切り直しという感じ。曜日も誰もが参加しやすい日曜日にします、と先生。通常のお稽古が月に三度。さらに一度の研究会となり、お茶に対する先生の気持ちの強さが伝わってきます。わたしにその気持ちの強さがあるかどうかが問われる展開となっています。なにしろ、先生は四の五の言うことを極端に嫌われます。その気持ちがある方のみどうぞ、という姿勢なのです。そして、お許しを持つ人にも持たない人にも平等に機会が開かれているところが先生の凄いところ。


 7月のカレンダーを見ているとお茶のお稽古(教授者講習会も含む)だけで、六日出かけることになっていました。先生の先生の講習会にも見学者として申し込んでいましたが、先日の夜、先生からショートメールが入り、いきなりの濃い茶のお詰めをさせていただくことになりました。いまからとても緊張します。この日、先生の先生、宗匠さまに初めてお目にかかることになるだけでもふつうではないことなのに、さらに、きゅうきょ、じきじきにご指導を受けられることになったのですから。
 降って湧いた感のあるこの事態を、ありがたいこととお受けすることにいたしました。
 *先生に「わたしなんか、…できるでしょうか?」という言葉は、禁句であることを知っているので、「先生さえよろしければ」というなかば「脅迫的?」な先生へのお返事となってしまいましたが…。


 お茶も奥が深く、お花に対する気持ちもわけがわからないくらい深まり、唯一、コントロールができるようになったのは、着物に対する気持ちでしょうか。あらためて購入したいという熱はおさまってきました。なにしろ、いただいた着物だけでも、これから先、着る機会があるかどうかの枚数がすでにあるのですから、当然といえば当然のこととおもいます。


 これからは、帯揚げ、帯締め? と書いて、自分でもあきれてしまいます。
 着物ほどではなくても、高価な小物にはちがいありません。よおく考えて…と、おもうようになっただけでも進歩でしょうか。