(神楽坂の「茶寮」)
きのう(もう一昨日になりましたが)、お茶の友だちたち(「茶友会/ちゃともかい」と勝手に命名)と神楽坂を散策。
わたしは、お買い物用の布のバッグ(折りたたみ)を持参して収穫に備えましたが、結局、足袋と足袋カバーを買うにとどまりました(この会の人たちと出かけるときは、着物関係のお店に入るので足袋とか足袋カバーを買うことが多くなります。ほかのものは、高いので手が出ません…)。バーゲンをやっていて、通常は1500円以上はする「福助」の足袋が680円で売っていたのでした。
ところで、仲間のSさんは、この神楽坂の茶寮で、2011.3.11の東日本大震災に遭ったのだそうです。そのあと、その日は駅に向かったものの、結局、池袋のホテルメトロポリタンのロビーの床で夜を明かしたのだとか。
怖かったわね、とあらためてあの日のことを話してくれました。
あの日、どこであの地震に遭ったのか。
Sさんのお話しを聞きながら、わたしもあの日のことを思い出しました。
わたしは、その日、珍しく(後にも先にもその日しかありませんが)早く家を出ました。お茶のお稽古に出かけるためです。早く家を出たので、普段より一本から二本早い電車に乗ることができました。
電車を降りて、いつもどおり、先生のお宅までタクシーで向かいました。そして、いつものようにお手洗いをお借りしてお茶室に入ろうとしたその時間が14時46分だったのです。早く家を出たおかげでわたしはホームで途方に暮れることもありませんでした。携帯もつながらなかったので、家から離れたところで立ち往生することもありませんでした。
なにかに護られて、この日だけ家を早く出たわたしが、家に帰り着いたのは夜中の1時ぐらいだったでしょうか。
同じ方向から車で通っている社中のOさんに、普段なら1時間で着く距離を6〜7時間かかって家まで送り届けていただいたのでした。
Sさんのお話しを聞きながら、あの日のことを次から次へと思い出していったのでした。他の方たちもしばし、沈黙。それぞれの時間を思い出していたのだとおもいます。