白玉庵のいちにち

表千家茶道教室

『山谷崖っぷち日記』を読む

さて、支離滅裂なわたしの読書傾向はとどまるところを知らないけれど、日曜日に読み終えたのが『山谷崖っぷち日記』大山史朗著(角川文庫)でした。これは応募作品として、第九回開高健賞を受賞。書籍として刊行されたそのときはとりたてて食指が動きませんでした。そのあとしばらくして文庫本が出たときに、立ち寄った書店で何気なく購入。そのままずっと書棚に眠ったままの状態でした。今回、ほかの本を探していたときに背表紙と目があって、読み始めたら、とまらなかった。しかし、早く読んでしまうのはあっけないので、ゆっくりと時間をかけて読みました。
だから、お茶の夏期講習会に出かけた際、着物を着て電車に乗ったときも、裸のままの(また、本の山のなかに紛れ込まないようにカバーをしないで)この本を読み続け、電車を乗り継ぐときも手に持ったまま、ゆっくりと味わいながら移動しました。
著者は大坂西成で3年間働いたのち、東京の山谷で、いまに至るまでいわゆるドヤ街と言われるところで日雇い労働者生活を送っている人です。
わたしがひかれたのは、人は生きつづけなければならず、その「生きる」場所として大山さんは山谷を選んだのだということ。そこが自らの生きる場所であるというゆるぎない確信のようなものが、その破綻のない文体、魅力的な文体から伝わってくるところでしょうか。
わたしにとって意味のある情報がたくさん含まれている書籍でした。どんな意味があるのかと言われたら、詳細については自分自身にも説明不能ですが、とにかく「生きる」ためには人はどのようなことをすればいいのか、ということが伝わってくるのです。
この人のいまを知りたいと思うけど、この人はもうこのあとは本を書かないのでしょうね。文庫本なら普通、最後に記されている「単行本のあとがき」に加えて「文庫本のためのあとがき」などがあるものだけれど、この本にはないのです。ということはもう、連絡がつかなかったということ? それとも、これ以上書きたくなかったということ?
なにしろ、「単行本のあとがき」には「心中のひそかな想いを表明させてもらうとすれば、可能な限り淡く薄い関心とともにこの生活記録が読まれ、可能な限り早く忘れ去られることを願っている」とあるのです。
一読者としては、見事な文体を、そして「生きる」という情報をもっと読みたいです。

この本にたどりつく前に読んでいたのは『ハードワーク―低賃金で働くということ』ポリー・トインビー著(東洋経済新報社)、『ニッケル・アンド・ダイムド―アメリ下流社会の現実』バーバラ・エーレンライク著(東洋経済新報社)でした。それから森永卓郎さんの一連の本も。とことん後をひく納豆体質健在?
そうしたなかでグッドウィル・グループ会長、折口雅博のニュース。福祉業界で働く善意の現場の人たちが低賃金であえいでいる現実が日本でも同時進行していることが明らかになりました。
こうして書いていると、いったい何が言いたいのかと支離滅裂な気分にやはりなります。
お茶の世界は好き。
しかし、日本の構造はおかしい。この二つの気持ちを同時に生きるわたしは、それはそれでまともだと思いたいですが…。