白玉庵のいちにち

表千家茶道教室

山下清の画と文章。

 先生の喜寿のお祝いのお茶会が熱海であった時、寄りつきのお部屋に掛け軸があって、そこには山下清の画が掛けられていました。蜻蛉の画でした。
 ちぎり絵ではなく、墨汁で書いたと思われる画でしたが、お茶会の流れで山下清に出会うとは思っていなかったので、その一見ミスマッチな組合せに、気持ちが静かに弾んだことを覚えています。
 わたしは山下清の文章が好きで『裸の大将放浪記1〜4巻』(ノーベル書房)ほか、文庫本も『日本ぶらりぶらり』『ヨーロッパぶらりぶらり』など、いつでも手にとれる場所に置いてあります。脈絡もなく、パッと開いて、そこを読むという読み方をします。
 『日本ぶらりぶらり』のなかに「熱海とお宮の松」という文章が収録されています。
「熱海は放浪のときたびたび通ったところだが、いつも停車場のベンチの上にねたので、宿屋へとまるのは珍しいことなので、弟といっしょに町を歩いて見物した。立派な家がたくさんあって、どこのうちもお客でいっぱいだ。ぼくは金をだしてこんなに温泉へ入る人が大ぜいいるのはどういうわけか、よくわからない。辰造(弟)は働く人が疲れるので温泉に入りにくるのだと教えてくれたので、家のなかや風呂にいる人の顔をみたがだれもそう疲れたような顔をしていなかった。疲れて温泉へくるならばみんな休んでいるか寝ていそうなものだが、パチンコをしたり、ピンポンをしたり、玉をついたりして遊んでいる。宿屋にいても酒をのんでさわいでいるので、あれでは疲れがなおらないでかえって疲れるのではないかと心配になって、女中さんにもきいてみたが、温泉へきて寝てばかりいる人はひとりもいないと教えてくれた。」とあります。
 お茶会で、前日入りしたわたしは、ホテルの窓から暮れなずむ町を見ただけで、町を歩かなかったけれども、山下清が弟と来たときの熱海はずいぶんと活気があったのだと思います。
 それから、わたしは部屋にこもってはいましたが、翌日着る、着物の着付けの練習をしていたのでした。それで、くたびれて、早く寝てしまいました。