白玉庵のいちにち

表千家茶道教室

ほんとうの姿が見えるとき。


(雑誌で紹介されている旧白洲邸「武相荘」の写真です。昨年、お茶の仲間と行ったときに撮影したもの。本文とは無関係ですが、こんなところで読書したいです)


 朝と夜とが逆になって、仕事を進めていると、取材させていただいた人のほんとうの姿が見えてくることがあります。書くまでは、自分でもどんなふうにまとめたらいいのかわからない。何も書くことはない。今度こそは困った、と思っていても、一行一行書き進めて行くうちに、はっと気づく。気づかされる。その人がほんとうの姿を見せてくれるのです。書く前の、困ったと思っていたわたしには、たしかにほんとうの姿は見えていなかったのに、なぜだろう。書くことを通してだけ、じょじょに姿を現してくるほんとうとは。
 魔法のような体験をさせていただいたとき、書くことの素晴らしさにいまさらのように出会えて、感動するのです。
 この体験は、たとえ仕事ではあっても、詩を書いていて見えてくる真実と通じている。会っただけなら、この人のほんとうの姿には出会えずに終わっていたと思います。