白玉庵のいちにち

表千家茶道教室

奥村真さんが亡くなられました。 2

 奥村さんのことを私ごときが書くのは、やはりいけないと思ったりしていました。
 たとえば、一緒に行ったカラオケで歌ってくれた曲名も覚えていない者は、そのことについて書く資格がないように思ったりしたのです。
 それで、先日この「白玉庵のひととき」に書かせていただいたことを、消してしまおうと思いながら、日にちが経ってしまいました。
 それでも、奥村さんの名前で検索されて飛んでくる方にとっては、奥村さんのHPをごらんになるだけでもいいのかもしれないと思いながら、日にちが経ってしまいました。
 
 私は、根石吉久さんが書かれた奥村さんの思い出を読んだとき、奥村さんのことをなんにも知らなかったことを、あらためて知りました。
 根石さんの文章を読んで、私は奥村さんのことを知りました。やはり、私ごときが書くのはいけないと思ったりしました。
 根石さんの文章を読んで私は奥村さんの死を心底悲しんだのでした。

「大風呂敷」という掲示板に書かれた根石さんの文章です。宝石のような文章だと思います。
2009年10月18日(日)02時32分48秒


 思い出すこと、少し書いておきたい。

 初めて会った日、奥村さんのアパートへ佐藤さんや中村さんと行った。みんなよれよれに酔っていて、佐藤さんが、奥村さんは朝鮮語アイヌ語もぺらぺらだと言った。奥村さんは少し困ったような顔をした。奥村さんは、東大を受けるつもりだったけど、機動隊が安田講堂に水をぶっかけた年で、東大は入試をやらなくて、早稲田に入ったんだと誰かが言った。「えっ、奥村さん早稲田なの?」と俺が言ったら、奥村さんは「俺の女房は学芸大だよ」と返事した。やかましい、学校の話なんかしやがってという口調だった。含羞の強い人だとすぐわかった。その後は、この野郎とか言って、俺は奥村さんの肩を揉んで痛がらせた。

 奥村さんが、うちの娘が高校生のころ、うちへ遊びに来た。俺は聞いていないか忘れたのかどちらかだが、うちの娘によると、奥村さんがうちの娘に言った言葉があるそうだ。
「千代ちゃんはいい子だ」
 と奥村さんはうちの娘にしみじみと言ったそうだ。
 その後、やはりしみじみと、
 「だけど、千代ちゃんは、人に馬鹿にされると思う」
 そう言ったそうだ。

 あの人は全部見ていたという感じがする。
 黙っていたことがものすごい量だった気がする。
 含羞が強すぎた。

 いつも盛り場をうろついていた。
 新宿が好きだった。
 俺は奥村さんと池袋のデパートで待ち合わせたことがある。昼日中、奥村さんはデパードの入口で鞄を抱えて横になって寝入っていた。人が気持ち悪そうに奥村さんを避けて通っていた。「奥村さん!」と呼んでも、生返事でちゃんと目をさまさないから、体を揺さぶって「奥村さん!」と言うと、めんどくさそうに目をさました。夜中ずっと新宿にいて、昼間、池袋に移動して寝入ったばかりに起こされたのだから、めんどうくさいのだ。めんどうくさくても、奥村さんは起きて、それから二人でどこかへ行った。どこへ行ったんだったか。詩の雑誌の yellow book の集まりだったのか。

 奥村さんが失業中の時だったか。ある日、うちに電話があった。「あのさあ」、と奥村さんがしゃべり始めた。「ゆうべ新宿で飲んで、新宿駅でおやじ狩りにあった」と言う。「なんでまた」と言うと、「へべれけだったから、駅で若けえやつらがたむろしてるのを見て、なんか僕が言ったらしいんだ」と言う。「僕がお説教臭かったんじゃねえの」と言う。「ぼこぼこにされてさ、アパートに帰って寝たみたいだけど、なんか、痛いから起きちゃったんだよ」と言う。「僕、どうも胸に蹴りを入れられたみたい」と言う。そこからが、奥村真だった。恋してる乙女だか、恋してる中年男だか知らないが、恋してる声で「ああ、胸が痛い」と奥村真は言うのだった。俺がげらげら笑うと、笑うなよ、俺も笑いたくなるからと言い、もう一度「ああ、胸が痛い」と言った。

 奥村真の詩は、一度わかるとむちゃくちゃに面白いのだが、一度わかるところがなかなか難しいらしい。俺も詩集を一冊発行させてもらった。

 奥村さんは、娘が大学に通っていたときの大家さんだった。奥村さんは、自分が借りていたアパートを買ったのだった。これにも笑った。アパートの一室を借りていた人が、アパートまるごと買ったというのだ。「奥村さん、どこに金あったの」と言ったら、「金は銀行が持ってる」と言った。借りたというのだ。借金は、アパート収入で返していけばいいと言っていた。バブルの最終局面だったか、バブルがはじけてまもなくだったか。

 奥村さんの奥さんは、「真くんが連れてくる人は誰も家賃を払わない」と娘にこぼしたらしい。娘が毎月家賃を持って行くと、「千代ちゃんは、毎月きちんと払ってくれてありがとう」と、奥村さんの奥さんは頭を下げて感謝してくれたそうだ。

 アパートを所有しても、アパートを借りていた時と同じ部屋に奥村さんは住んでいた。家主も他のアパートの住人とまるで同じような居住条件なのである。

 娘が大学に行っていて、奥村さん所有のアパートの一室を借りていた頃、普段、奥村さんは朝帰りだったようだ。朝になると、なんとか自分が所有し自分で借りてるようなアパートに帰って来る。そして、自分の住んでいる部屋の窓を叩き、「節さん、節さん、入れてよ」と哀願するのだそうだ。節さんは奥村さんの奥さんの名前だ。アパートの住人みんなに聞こえるように、家の外で奥さんに甘えているのだ。「ねえ、ねえ、節さん」と窓の外から奥さんに哀願していたそうだ。「入れてよ」と哀願する。

 奥村さんのやることは大笑いできることが多かった。役者なのだ。後年、実際に役者になって、映画「釣り馬鹿日誌」の鯉太郎の友達のお父さんの役をやると電話で聞いたことがある。奥村さんの生身を知っているので、いまさら役者の奥村真を見てもしょうがねえと思って油断していたら死んじまった。俺が油断してる間に死ぬのかよ。俺は、奥村さんにはいつでも会えると思っていたのだ。いくつか、映画やドラマにも出ているようだと思って、少し安心していたのだ。奥村さんの出た映画もドラマもひとつも観ていない。

 奥村さんは会社員をやって失業し、その後、昔一緒に暴れた仲間と会社を起こしたことがある。コンピュータのプログラムを作る会社で、奥村さんは副社長だった。「副社長って何やるの?」と電話で聞いたら、「えばっていればいいんだ」と言う。「そんなの奥村さんやれるのかね」と言ったら、「だって、うちの会社の若いやつらは、短パンはいて、夕方になると出社してきたりするんだ。そういうのを取り締まるわけよ」と言っていた。何が「取り締まるわけよ」かと思い、大笑いした。
 その時の電話だったか、「根石君、うちの会社の株買わない?」と言った。いい会社ですかと言ったら、「知らないよ」と言った。「俺が買う分の株なんてあるんですか」と言うと、「株券なんて印刷屋に頼めば、いくらだって刷れるもん」と言った。大笑いして、奥村副社長のいる会社の株は買わなかった。
 「今日、労働争議があってさ」と奥村さんは続けた。「俺は副社長だろ。社長とか部長連中を集めて、先日、経営者会議をやったんだ。労働組合のやつらがどんな要求をつきつけてくるのか、あらかじめ予想して対策を練っておかなきゃならねえわけよ」と、副社長は言った。今日はさ、労働組合の集まりがあってさ、経営者どもがどれだけ俺たちを搾取しているかを明らかにし、どう糾弾するかってのが議題だった。俺はさ、経営者会議にも労働組合の会議にも出たわけ。俺だけじゃねえんだよ。労働組合の会議に出て、顔ぶれを見回したら、先日の経営者会議の顔ぶれとまるで同じなんだよ。みんな忙しいんだよ、と奥村真は言った。大笑いだった。コンピュータプログラムがよく売れて、その業界が景気のいい頃だった。

 奥村真には、いつも失業者の高貴さがあった。会社勤めをやっていても、副社長をやっていても、奥村真の高貴さは、失業者の高貴さだった。何にせよ、ゴールデン街。とうとうべだったか、奥村さんに連れていってもらって、朝まで飲んでいたっけ。悲惨にして滑稽、滑稽にして悲惨をやっと抜けて、照れのない文章を書き始めたと思ったら死んでしまうのか。奥村さんよ。

 寝た女の顔を忘れることはよくあるが、奥村さんのさえない顔は、俺の前にいつでも浮かぶ。いつもよれよれの背広を着ていた。かっこよくしていた奥村真は見たことがない。本質的にお洒落なんだ。いつでもさえない古着みたいなよれよれの背広を着て、昼も夜も暇さえあればその辺をうろうろうろついていた。野良犬の気持ちがわかる人だった。血統書付きの犬の気持ちなんてものもわかるが、いつでも野良犬の気持ちに戻ってしまう。高貴さをまき散らしうろつく。だけど、奥村さんの高貴さを理解するのは、松岡祥男が言う「普通が偉い」を理解するのが難しいのと同じくらい難しい。

 奥村さんよう。
 安らかなれ、だよ。
 死にやがって。

 ひとまず、これから、外にでて、線香に火もつけず、そのあたりに漂っている奥村真に手を合わせてくるわ。俺が飲んで手を合わせても、奥村さんなら怒らないから。何かの拍子に、墓の前に俺が行って、線香の煙を立てたりしたら、照れて、「俺の女房は学芸大だよ」って返事してくれるような気もしてるし。

 足立さん、明日の夜あたり、缶ビール片手に、奥村さんの話をしたいです。
 何時頃からならいいでしょうか。
 俺は、9時ころになれば仕事が終わります。