令和五年五月九日(火曜日)
お庭を散策したあとは、お茶室でお菓子と薄茶をいただきました。
燕子花と緑のお庭を堪能。
来年もまた、光琳の燕子花に会いにきたい。
帰りは、ヨックモックに立ち寄りました。
このコースは毎年同じ。
令和五年四月二十一日(金曜日)
先輩お二人を迎えてのお稽古をしました。
お棚は二重棚を使いました。
茶筅飾りと組合点をそれぞれお稽古されたあと、お薄も点てられました。
令和五年四月二十二日(土曜日)
炉の最後のお稽古となりました。
この日はお二人とも、お濃茶とお薄をそれぞれ点てられました。
お棚は二重棚を使いました。
令和五年四月二十五日(火曜日)
お稽古に出かけました。
お許しの日なので、わたしは台天目と運び点前でお薄をさせていただきました。
社中のみなさまは、盆点のお稽古、長緒、唐物の真、唐物の行、唐物の草のお稽古をされました。
真、行、草の違いは、真がしっかりと頭に入ってからでないと難しいですが、
社中のみなさまは、長くお稽古されている方ばかりなので、流れるように進んでいきます。
令和五年四月二十六日(水曜日)
雨のなか、早朝より出かけて行きました。
所属する会の自主研究会があり、お棚を使わずに、炭点前、長緒、花月、台天目とお昼を挟んでのお稽古がありました。
わたしは花月をさせていただきました。
令和五年四月三十日(日曜日)
早朝より、月に一度の特別稽古がありました。
釣釜での炭点前を行ったあと、お昼を挟んで、台天目、運び点前でお薄をさせていただきました。
他のお一人は、旅箪笥を使って、茶筅飾りとお薄。
もうお一人は、旅箪笥を使って、仕組点とお薄をされました。
五月は、お休みが続くため、しばらくはお茶とは離れます。
令和五年四月四日(火曜日)
お稽古に出かけました。
お棚は旅箪笥、お釜は釣り釜でした。
旅箪笥になると、いよいよ炉も今月でおしまいになります。
薄茶のお稽古では、「芝点」「下の棚板を上の棚板に重ねる」「水指を点前に引く」この三つのなかからお点前の人が選びます。
また、居ずまいを直すのは、蓋おきに柄杓を引いたときでなく、棚板を畳の上に置いたあとになります。
棚を元に戻すタイミングも注意したい点です。
水指の蓋を二手で閉めたあと、棚板を両手で取り、右手で棚板を棚の奥まで入れて戻します。
もっとも好まれるのが、「芝点」でしょうか?
お茶室から、大地に場所を移し、野点の空間に身を置いたような瞬間を楽しむのかもしれません。草が生えていても、棚板があるから、棗や茶筅も落ち着いて定位置にあります。
わたしもこの日は「芝点」で薄茶を点てました。
そして、濃茶は、組合点をしました。
令和五年四月八日(土曜日)
花月のお稽古に出かけました。
この日は午前中に二回させていただきました。
また、濃茶の正客で濃茶もいただきました。
令和五年四月十一日(火曜日)
お稽古に出かけました。
お棚は旅箪笥。この日の薄茶では、「下の棚板を上の棚板に重ねる」のお点前をしました。
濃茶は「仕組点」を。「茶筅飾」「組合点」と「仕組点」のなかで、これまでなぜかあまりお稽古しなかったのは「仕組点」だったかと思います。
三つのお点前の違いをはっきりと覚えていないと、準備に手間取ります。
令和五年四月十二日(水曜日)
お二人の先輩を迎えてのお稽古をしました。
お棚は二重棚を使いました。
濃茶と薄茶をそれぞれ行いました。
*旅箪笥は、天正18年、秀吉の小田原城攻めの折、利休居士が従軍した際に、好まれた棚だそうです。
昔から、箪笥、と呼ばれ茶会記にも出ているようです。
令和五年三月二日(木曜日)
お二人の先輩をお迎えしてのお稽古を行いました。
長板を外して、何もない空間から始まり、何もない空間で終わる運び点前の美しさ。
「お棚がないだけで、こんなに広いとは!」
そして、清々しい。
令和五年三月七日(火曜日)
お稽古に出かけました。
お棚は抱清棚。
湯返しはありません。
社中のみなさまで濃茶と薄茶のお稽古を順次行いました。
令和五年三月十四日(火曜日)
お稽古に出かけました。
お棚は抱清棚。
社中のみなさまは、茶筅飾、組合点を行いました。
わたしも組合点、薄茶のお稽古をいたしました。
令和五年三月十八日(土曜日)
高田馬場にて、所属する会のお茶会が開催されました。
濃茶席は長板のお点前。
わたしは午前中の席に入りました。
午後からは、運び出しや水屋まわりのお手伝いをしました。
令和五年三月二十一日(火曜日)春分の日
月に一度の特別稽古に出かけました。
炭点前をされたあと、昼食。
午後からは、盆点、台天目を。
わたしは、盆点をいたしました。
そのあと、抱清棚でお薄をそれぞれ。
令和五年三月二十五日(土曜日)
お茶のお稽古をいたしました。
運び点前で基本のお点前。
濃茶と薄茶をしていただきました。
令和五年三月二十八日(火曜日)
お茶のお稽古に出かけました。
この日は、お許しの日。
みなさま、盆点や唐物、台天目をされました。
わたしは、盆点のお稽古をさせていただきました。
そのあと、それぞれ、抱清棚で薄茶を行いました。
令和五年三月二十九日(水曜日)
お二人の先輩をお迎えしてのお稽古をしました。
二重棚をご用意しました。
濃茶と薄茶をそれぞれ行いました。
(ご縁があり、わたしの手元にやってきてくださった、尾形光琳の「白玉椿」。ベランダの椿の花が間に合わなかったお稽古の一日、このお軸を飾りました)
令和五年 二月十四日(火曜日)
お稽古に出かけました。
お棚は小袋棚で、社中のみなさまと順番に、お濃茶とお薄をさせていただきました。
令和五年二月十六日(木曜日)
お二人の先輩がお稽古をしました。
この日も長板でのお点前で、お濃茶とお薄をされました。
令和五年二月十八日(土曜日)
早朝より、花月のお稽古に出かけました。
令和五年二月二十三日(火曜日)
お稽古に出かけました。
この日は、お許しの日、なぜかみなさんが台天目をされました。
わたしも、台天目のお稽古をしました。
そして、抱清棚でお薄をさせていただきました。
令和五年二月二十三日(天皇誕生日)
月に一度の特別稽古に出かけました。
わたしは炭点前をさせていただきました。
それから、盆点と抱清棚でのお薄を。
お二人は、台天目と抱清棚でのお薄を。
それぞれお稽古されました。
令和五年二月二十五日(土曜日)
お稽古をしました。
お二人とも、お濃茶を点てたあと、極寒茶碗でお薄を点てました。
令和五年 二月九日(木曜日)
極寒のこの時期だからこその「筒茶碗」のお稽古をしました。
三代 佐々木昭楽作陶
茶巾の扱いは、常のお茶碗なら先にお茶碗の縁から拭いていきますが、筒茶碗の場合は、先に「ゆ」の字を書いて、そのあとでお茶碗の縁を三度に分けて拭いていきます。そして、そのまま茶巾は抜き取らず、茶巾でお茶碗を持ったままお膝の前に置くところが違いですが、
そのお点前の違いもさることながら、寒い季節に、いかにお茶を美味しく暖かく保ちながら、客人に差し上げるか、というその亭主の気持ちが、お点前の一つひとつの所作に現れているところに、寒い季節における「筒茶碗」のお稽古の意味があるようにおもいます。
茶巾を「絞り茶巾」として仕組んでも、通常の茶巾として仕組んでも、どちらでも構いません。
本阿弥光甫は、本阿弥光悦の養子である光瑳の子供。号を空中斎。
江戸時代前期の方です。