サクラサク 山本かずこ
一年ぶりの奥多摩である。奥多摩には、両親のお墓がある。青梅で乗り換えて、約四十分。車窓いっぱいに、山桜がひろがっている。いつか、満開の桜の咲く日に奥多摩に行きたい。そう思って数年。今日はやっとその日がやってきた。
去年は、一週間早かったようだった。
霊園では、毎年「さくら祭り」が催されているのだが、なんでも霊園内には約七百本の桜が咲くというのだから、見応えがあるだろう。
両親のお墓の真ん前には、立派な桜の木が二本ある。これまでお墓参りをするたびに、この桜の花が咲いたときを見てみたいと思ったが、一度も見たことがなかった。それが、今日は見えるのだから、ほんとうに楽しみ。
「きれいね」
車窓の満開の山桜たちも余裕で見る。序章である。
ほんとうに、楽しみ。楽しみ。
事務所で花を買い求めて、両親のお墓にむかって坂を上って行った。周りの桜は見事に咲いている。さぞかし、あの桜もきれいなことか、と。
ところが、一番高いところに位置する両親のお墓にやってきたとき、愕然とする。桜は咲いていないのである。申しわけ程度に蕾がいくつかあるばかり。すぐ眼下の桜はあんなに満開なのに。七百本の桜のほとんどが咲いていても、急に色褪せてしまう気分である。この桜が咲かなければ、桜が咲いたことにはならない。
最後に良寛の辞世の句を一句。
散る桜 残る桜も 散る桜
来年こそは、必ずや。一度はこの桜を見なければ、死ねないという気分である。