白玉庵のいちにち

表千家茶道教室

十六夜の夜に


画面左上、十六夜の月が細長くみえるのは、ひとえに撮影の腕のせいです…。



タクシーの運転手さんには顔見知りの方が多い。お天気の話や着物の話、花の話など、たいてい先方から話しかけてくれる。
昨日の人もそのお一人。もう何度も乗せていただいた。
「タクシー料金そのままなんだよ」と問わずがたりに言う。「ずっと値上げしないんですか?」「今度の11月10日で免許更新があるんだけど、もう返しちゃおうと思ってるんだ。だって、働きすぎなんだよ。もう、56年も働いているからね。18歳からずっと」「働き過ぎですよね(反射的に思わずそう口走った私。56年という歳月はとてつもなく長い)」と思わず言う。
「そうなんだよ。個人タクシーには定年がないから、みんな死ぬまで乗っているんだ。もう少しもう少しと思いながら働いているんだよね。だけど、ある日、死んじゃうんだよ。そういう仲間をたくさん見てきたからね。自分で定年を持たないと。ずっと働いて、死んじゃうことになるだろうね。でも、何をやったらいいのかね。囲碁の場所に行くとぼけないからいいらしいけど。今までなんにもやってこなかったからね。」
 もう少し働ける、もう少し働けると思いながら、気がつくと死んだり病気になったりして人生が終わるんだよね、というタクシー運転手さんの真実の言葉は重い。
しかも、時間が経つと共に、心の細胞にしみわたる。この日は運転手さんの言葉を反芻しながら下を向いて歩いていた。しかし、ふと、見上げた空には月。十五夜を一日過ぎた十六夜(いざよい)。成増の夜空に浮かんでいました。人はこの月に、みとれて、何を考えていたのか瞬間忘れる。そうやって、生きていくのか。そうやって、生きてゆきたい。