白玉庵のいちにち

表千家茶道教室

あとがきにかえて 

  
あとがきにかえて   山本かずこ


 「ごめん」行きと「いの」行き。「はりまや橋」から「大橋通」まで、と「はりまや橋」から「菜園場」までのわずかな区間ではあったけれど。電車の椅子にみんなと並んで腰掛けていると、私が旅人であるということは誰にも気づかれない。しかし、私が帰るところは、街の一角にあるホテルであって、両親の住む家ではない。そのことが、私を少しさびしくさせるが、このさびしさもまた、生きている間だけだと思えば、愛おしい。
 「楽しめるものは楽しみ、苦しまなければいけないものは、苦しんでゆきませう」と言ったのは、宮澤賢治だけれど、私はこれまでの人生、いつだってさびしさが好きだったと思えてくる。
 朝、私は鏡川沿いのホテルの一室から、昇る太陽を眺めていた。
このホテルは好き。鏡川がよく見える。夜になると、街の灯りが灯りはじめるけれど、大都会の灯りの量とはちがう。ネオンの量にも、人の心に届く量というのがあるのだろう。十七階の部屋から見る街のネオンの散らばり具合に、せつなさを感じてしまう。せつなさを感じるもの。さびしさと同じくらい、それに心ひかれて生きてきたような気がする。
 ある時代、確かに夢のような時間を共に生きた人も死んでしまった。生きている間に、ごめんね、と謝りたかった。けれど、私は謝り方を知らないまま、今日も生きています。





詩集『いちどにどこにでも』(ミッドナイト・プレス刊)から
2005年7月26日刊行
カバーの写真は梅林 撮影/野口賢一郎 装丁/土田省三