三時半ばには起き出して、一時間後には家を出るという苛酷な三月は身に堪えたらしく、風邪をひいて、夜中に胸が苦しくてうなされるという日が数日続きました。
心身共にやわであります。肺炎にならなかったのはせめてもの幸いでした。
いまは、まだくすぶってはいるものの(家人に移ったようであります)、ぶり返すことだけは避けたいと思っているところです。
うっかりしているうちに長谷川等伯の展覧会に行きそびれていました。
東京から京都へ移った展覧会。
地下鉄の構内などでポスターを見たとき、行きたいと思っていたのに、開催中はそれどころではなくて(みんなに迷惑をかけないように遅刻しないように始発に乗って仕事に行くことに専念)、頭から飛んでいっていたのでした。
長谷川等伯の描いた利休の画像はお茶室ではよく見るけれど、本物をやはり見ておきたい。「同門」4月号に寄せられたお家元の言葉を読んでから、ますますその思いが強くなりました。「私にとっての利休画像は、等伯の描いた優れた絵画というのとは少しちがった思いがあります。」という言葉のあとに綴られた「思い」に触れたとき、また、どうしても見ておきたいと思えるのでした。
その角度から考えると、わたしにとって「失われた三月」であったのかと思います。
それとも、ただ単に、好きなことをして、好きなものを見て、遊んでいたいということにすぎないのでしょうか。
ブログもしばらくはこのままの形式で。
次から次へとしなければいけないことに追われて「ブログ」のことにいきつかない状態が続いています。