白玉庵のいちにち

表千家茶道教室

光の秋葉神社へ。


高知県愛媛県の境、四国山脈の奥深くにある「秋葉神社」。1794年に現在の場所に。


光の秋葉神社へ    

 いとこといとこの子供同士のことを、正しくはどう呼ぶのだろう。地域によっても違うのかもしれない。わたしが使っているのは「いとこ半」という言葉。でも、通用しないことが多い。「またいとこ」「はいとこ」という呼び方もあるらしい。
 幼い頃に、いとこ同士の親たちが近所に住んでいた関係で、「いとこ」や「いとこ半」が仲良く遊んでいた時代があった。それは、わたしが小学三年生になるまで続いた。その頃、父親の仕事の都合で、高知市日ノ出町(現在の弥生町)を家族で離れることになったからである。Hちゃんとわたしの場合も、幼馴染みの「いとこ半」。小学三年生になるまで、一緒に遊んだ仲だ。と書いて、あれから五十年も経つのかと自分でも驚いてしまう。
 この五月、松山の病院に入院しているHちゃんのお見舞いに出かけた。面会者の欄に入院患者との関係を書く欄がある。「いとこ半」と書きかけて、「いとこ」と書いてすませてしまう。高知と松山とでは、方言も違うだろうし(松山弁というのは全く知らないに等しい)、「いとこ半」と書いても通用しないかもしれない。咄嗟にそう思ったのではなく、この際、受付の人のことは念頭にはなくて、「いとこ半」ではなく「いとこ」と書きたい自分がいたのだと思う。
 ちょうどインフルエンザで日本じゅうが大騒ぎになっている頃だったので、病院の入口で手を消毒したあと、マスクをかけて(病院じゅうマスク)、関係は「いとこ」と書いた。
 Hちゃんとは、大人になってから、彼は松山に、わたしは東京や埼玉に住んだりして、もうずいぶん長く会っていないのに、こんな大げさな再会になるなんて思いもよらぬことだった。病棟に行くと、Hちゃんもマスク姿で歩いて来たし、わたしももちろんマスク姿。わたしはマスクのヒモを片耳にかけて、話をしたこともあったけれど(不真面目?)、Hちゃんは一度も外さないのである(真面目)。だから、顔は半分しか見えないまま。
 真面目なHちゃんはその昔「石鎚(いしづち)神社」で神様にお仕えしていたことがあるのだと、ある人から聞いたことがあった。その昔といっても、今生ではない。 
 ここから先は、ある人から聞いた話。
「いま、四国地方はよいエネルギーが流れなくなっています。その原因は、面河(おもご)ダムにあるんです。このダムを作るにあたり、とても強引な工事を行った。土地の神様がお怒りになって、剣山(つるぎさん)と石鎚山との間に流れているよいエネルギーを止めてしまわれたのです。そのため、四国中央市香川県)を中心として悪いエネルギーが巣くい始めている。その悪いエネルギーの影響を受けたのがHさん。Hさんはその昔、石鎚神社で神様にお仕えしていた方だから、そうした悪いものから特に狙われてしまうのです。まず、面河ダムの土地の神様にお詫びをして、よいエネルギーを再び流していただけるよう、お祈りされるとよいと思います」
 この五月、その面河ダムにも行くことにした。新緑の季節である。けれども水をたたえた面河ダムを目の前にして、四十数年前に水底に沈んでしまったものたちの存在を思わずにいられなかった。山の緑が深ければ深いほど、水面下の緑が目に浮かんできてしまう。この静けさは、尋常ではない。人間たちの強引な工事で黙らされたあらゆる生きものたちの存在。水の下でも、毎年、来る春を迎えていたのだろうか。成仏しないままに。
 面河ダムに向かって手を合わせていると、不意に光の気配がしてきた。曇り空が晴れて、いま太陽が顔を出したのだ。
 その後、山道を登って、大昔からこの土地を守っている「秋葉神社」にお参りに行った。立派な神社。ご祭神は火産大神(ほぶすなのみこと)という火の神様で、女性の神様だそうだ。毎年二月九日、十日、十一日の三日間、盛大なお祭りが行われるということも、あとから知った。
 境内はやわらかな光で包まれている。その時、白い蝶と黒い蝶がひらひらと舞うようにして近づいてきたことも、大きな幸運に結びつけたいと思った。社務所には誰もいない様子なので、木箱にお金を入れて、ケースの中に入っていたお守りをいただく。Hちゃんへのお土産である。

 さて、この六月。Hちゃんが退院するという知らせを受けた。その時、秋葉神社で見かけた白と黒の蝶の姿が浮かんできた。
「このお守りを枕の下に敷いて守っていただく」
 Hちゃんの言葉を思い出した。


*2009年度『苑』に発表